時代を生きていく藍染め商品

新型コロナウィルス感染が騒がれる前の2020年2月、偶然にも亀岡で藍染めのマスクが開発されました。
「藍染の新商品の開発をしている時に、スタッフからマスクを作ってみてはどうか? と提案がありました。賛成・反対、双方の意見があったのですが、『よし、まずは作ってみるか』ということで作り始めたんです。そうこうしている間にコロナが来て、マスクの需要が一気に高まったんですね」
藍には抗菌作用、抗炎症作用、抗がん作用など、いろんな機能性成分があり、2重、3重の効果が期待されるため、マスクとの相性は抜群だと販売に乗り出したそうです。
このマスクがメディアでも話題となり、かなりの反響を得ているのだそう。
「コロナ禍で儲けとるっていわれると悲しいけど、お値段をできるだけ抑えて、ちょっとでも人の役に立ちたいと思っているんですよ」
京都ほづ藍工房ではマスク以外にもこれからの時代にあうような商品づくりを積極的に行っています。
2020年7月1日より全国で有料化になったレジ袋にも着目し、
「亀岡はいち早くプラスチックごみの削減に取り組んでいますので、藍染めのトートバック販売も検討中です。デザインは、販売先のお土産屋さんと相談しながら進めています」
また現在では、京都サンガF.C.を筆頭に地元企業のグッズ開発などの依頼もあり、先方に納得してもらえる商品ができるようにいろんな引き出しを準備しているのだそうです。
幻の「京藍」と奇跡の出会い
京都ほづ藍工房で使用する藍は、一度は消滅したとされていわれた幻の『京藍』を使っています。
『京藍』とは昔から京都で使われ、品質が高いことで人気だった藍の品種です。しかし化学染料の流通や戦争による食料増産をきっかけに一度は消滅してしまったといわれていました。
そんな京藍を現代に復活させられないかと、仕事の合間を縫っては長年調べ続けていた吉川さん。ある日突然、奇跡的にこの幻の京藍に出会います。
「知り合いがね、藍をやっているんだったら、徳島に絶対会った方がいい人がいるっていうんでね。連絡をとって会いに行ったんです」
お会いしたのは徳島で藍師をやっている佐藤さん。初めての約束の日に遅刻してしまい最初は怒らせてしまったそうですが、吉川さんの藍染めへの思いや次世代への伝承について打ち明けると真剣に話を聞いてくれたそう。 話を進めていく中で、佐藤さんが使っている藍が幻の『京藍』であることが分かります。
戦時中、守っていくことが難しくなった京都の藍師から、徳島で残してもらうよう佐藤さんが頼まれものだといいます。
吉川さんは「それは私がずっと長年、探しもとめていた藍です。無理を承知でその種を分けてください」とお願いしたそうです。
しかし「あかん」と断られてしまいます。藍師にとって種を譲るということは並大抵のことではありません。
京藍への思いが経ちきれないまま京都に帰った吉川さんですが、翌日『送ったぞ』と佐藤さんから連絡があり、驚きと感謝の気持ちでいっぱいになったそうです。
吉川さんはその日から6年ほど経つ今まで、変わらず大事にこの『京藍』を育て続けています。
「雑草も全部手で抜いて、よそ者には負けへんぞという気持ちでね。今後にも残し伝えていくために、ちゃんとした藍の育て方を自分で実証していきたいなと思っています」
バブル時代、一兆円産業の着物染めの世界へ

吉川さんは、美術大学で木版画を学んでいたのだとか。
木版画を学んだ後に染め仕事!?って思われるかもしれませんが、当時は木版画ではなかなか生活がしていけない時代でした。しかし時代はバブル。偶然、着物で独立した先輩の話を聞いて、「年収5000万円や言うてました。これは絶対に着物の仕事をせなあかんなと思いましたね。版画は自分の趣味でやろうと」
と版画の道を諦め、京都市右京区にある栗山工房に就職されました。
「栗山工房では『紅型(びんがた)』という技法で着物を作っていて、こういうなんをすべて手で染めてましたね。草木染から、藍染めから全部、20年間いろいろ修行させていただきました。」
この紅型の着物は、一着を複数名で手掛けて完成までに1か月ほど要するのだそう。
突然の社長命令が思わぬ大成功に

「吉川、 おまえは工芸をやれ!」
こんな突然の社長命令を受けたのは、自ら着物のデザインづくりをし、染めていく、そんな仕事が楽しくなってきた頃でした。
時代はバブルがはじけ、着物の需要が少しずつ衰えてきた頃、40人以上社員がいる中で、吉川さんが1人だけが選ばれたのだとか。
着物の伝統は守っていきながら、吉川さんには新しいものを作って栗山工房を支えてほしいという社長の強い思いから出た辞令でした。
最初は「えー!」と驚き、これまでの仕事ができないことに少しがっかりした吉川さん。
工芸といっても何を作ったら良いのか分からず最初はとても迷ったそうですが、やりだしたら段々楽しくなってきたんだとか。
「一番最初はね、暖簾。先代の先生が残してくれた暖簾の型で作ってみたら、意外とおもしろいなと思ってね。」
安い暖簾は小売店で出回っていても、ちゃんと染められた暖簾はあまりなかった頃、お店の雰囲気をがらっと変えるかっこいい染めを作りました。
まずは販売店に10枚持っていき、1枚18,000円で置かせてもらったところ、1週間で10枚すべて売れてしまったのだとか。
続いてさまざまな柄で販売枚数を増やしても、すぐ1週間できれいになくなり、それが講じて、他のところからも注文が入りはじめて、月に1000枚~1200枚を売り上げる大成功。 スタートしてから3~4年で、会社全体の着物の売り上げ額と暖簾の売上額が並んでしまったそうです。
「びっくりしてな。もうどんどん売れて、それが本当に楽しくって。」
しかし、吉川さんの暖簾の成功に多くの競合他社が注目し、すぐに他社に真似され売り上げは下がっていったそうです。
「だけどもな、今のマスクみたいなもんで、その時その時で次は何をしようかなって考えて、今度はTシャツをしようと思ったんや。ほんなら藍染のTシャツがどんどん売れるようになったんです」
栗山工房で吉川さんがつくった商品は、暖簾からTシャツへ、次はタペストリーを、次は日傘をと、出しては売れ、出しては売れを繰り返します。
「何やしらんけど、みんなうまいこといってな。それを他社が真似するやろ。そうすると大元のうちの会社にまた新しい依頼がどんどん入ってきてね」
と他社が類似商品をつくってもポジティブに考える吉川さん。
天狗になった自分と、会社との別れ
自分が作るものがどんどん売れ、会社にとってなくてはならない存在となった吉川さん。勤めて19年目ではじめて社長と喧嘩をしてしまったそうです。
「天狗なっていた部分があるんやろな。社長に言われたことをうっかり忘れてしまって、それで喧嘩をしてしもたんです。僕は明日からもう会社に来ません。とにかく退職します」と言ってしまったそう。
その後、冷静になると「言ってしまった、、」と省みる部分もありましたが、一度口に出してしまったことは撤回できないとの思いから、社長と改めて話をして、次の世代の人たちにしっかり引き継ぐという条件で退職を受け入れてくれたそう。
吉川さんも大変お世話になったという思いから、そこから1年間、感謝を込めて細かく引き継ぎを行いました。
1年後の退職の日には盛大に送別会を開いてもらい、社員全員に温かく送ってもらった吉川さん。
「こんな寄せ書きとかも頂いてね。この会社で働けてよかったなって思っています。栗山工房の社長とはいまだに仲良くさせてもらっているんですよ。栗山工房での経験が、確実に今の自分の糧になっているなと思います」と深い感謝の言葉を述べられていました。
体験を通して、まずは知ることから!
京都ほづ藍工房では、商品開発や販売、受注生産などの業務を行うほか、一般のお客様向けに「藍染め体験」も受け付けています。
しかも、ハンカチ染め1人1,000円からととてもお手頃です。
「藍染めを後世に残したいという思いもあるけど、まずは藍染めとは何かを広くみなさんに知ってもらいたいと思うんです。藍染めが私の趣味であり、遊びであり、仕事やから、楽しくやらしてもろうてますよ」
どんなに忙しくてもあまり大変だと思わず、楽しそうな笑顔を見せてくれる吉川さん。
ちょうど取材当日には、大阪から母娘のご家族が体験に来られていました。
「湯の花温泉に行ったついでに何かゆっくり体験できることはないか?」と調べたところ、京都ほづ藍工房の藍染め体験を見つけたのだとか。
吉川さんは、普段はできない体験をほかの亀岡の観光と組み合わせてもらえることがとても嬉しいそうです。
①オリジナルのデザインを描いて、輪ゴムなどで絞る。
デザインは絞り方は、スタッフの方々が丁寧に教えてくださるのでとても安心です。
②藍の染料に一定時間浸す。
③ 水で洗う 一度染料に浸したら、必ず水で洗います。
②③を何度か繰り返していきます。デザインの箇所によって浸す回数を変えることで、色合いに少しずつを変化をつけることができます。
④ 充分に染まったら、十分に脱水し、開きます。
この時間は、とてもわくわくします。
⑤最後に皆さんで記念撮影
絞り具合いによってお花ができたりハートができたりします。
皆さんとても楽しそうされていました。とても良い親子旅行になったようです。
古くから受け継がれてきた藍染めを後世にまで残そうと、熱い思いで取り組まれる京都ほづ藍工房さん。
亀岡を訪れた際には、京都ほづ藍工房で京都の伝統文化でもある「藍染め」に触れてみませんか?